
「なぜ、あの商品は売れるのか?」「なぜ、部下は思うように動いてくれないのか?」ビジネスの世界は「人」を動かすことの連続です。もし、人間の行動原理を地図のように理解できるとしたら、あなたのビジネスやマネジメントは劇的に変わるかもしれません。
その地図こそが、心理学者アブラハム・マズローが提唱したマズローの欲求5段階説です。一見、難しそうな心理学理論ですが、その本質は驚くほどシンプル。
この記事では、ビジネス戦略のプロの視点から、この理論の基本から明日使える実践的な活用法まで、世界一わかりやすく解説します。
目次
マズローの欲求5段階とは?人が行動する理由を整理する
マズローの欲求5段階説(または「自己実現理論」)とは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」という仮説に基づき、人間の欲求を5つの階層に分類した理論です。
この理論が画期的なのは、「人間の欲求には優先順位がある」と明確に示した点です。イメージとしては、ピラミッドのような階層構造になっており、人間は下位の欲求が満たされて初めて、その一つ上の階層の欲求を持つようになるとされています。

5つの欲求の階層構造(生理的欲求〜自己実現欲求)
具体的に、マズローの欲求5段階は以下の5つの階層で構成されています。下の階層から順に説明します。
| 段階 | 欲求の名称 | 内容(何を求めるか) | 具体例 | 
| 第1段階 | 生理的欲求 | 生命維持のために最低限必要な、本能的な欲求。 | 食欲、睡眠欲、排泄欲、呼吸したい。 | 
| 第2段階 | 安全の欲求 | 身体的・経済的に安全で、安定した状態を求める欲求。 | 健康でいたい、事故や危険から逃れたい、安定した収入や住居が欲しい。 | 
| 第3段階 | 所属と愛の欲求 (社会的欲求) | 集団に属したい、仲間や他者から愛情を受け入れたいという欲求。 | 家族、友人、会社、コミュニティの一員でいたい。孤独を避けたい。 | 
| 第4段階 | 承認の欲求 | 他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求。 | 出世したい、SNSで「いいね」が欲しい、専門家として認められたい。 | 
| 第5段階 | 自己実現の欲求 | 自分の持つ能力や可能性を最大限に発揮し、「あるべき自分」になりたいと願う欲求。 | 創造的な活動をしたい、自分の理想を追求したい、新しいスキルを習得したい。 | 
なぜ「下位の欲求」が満たされると次の欲求へ進むのか
マズローの理論の核心は、「欲求の不可逆性」にあります。
例えば、コップを想像してください。第1段階の「生理的欲求」というコップが水で満たされない限り、第2段階の「安全の欲求」のコップには水が注がれません。
極端な例ですが、何日も食事をしていない人(生理的欲求が欠乏)に、「社会貢献をして自己実現しよう(自己実現の欲求)」と説いても響かないのは当然です。まずは「食べ物」という生理的欲求の充足が最優先されます。
この「下位の欲求が満たされて初めて、上位の欲求に意識が向かう」という原則を理解することが、マズローの欲求5段階を使いこなすための鍵となります。
現代版で注目される「6段階目:自己超越欲求」について

実は、マズローは晩年、この5段階のさらに上にもう一つの段階があると提唱しました。それが「第6段階:自己超越の欲求」です。
これは、「自己実現の欲求」が「自分の可能性の実現」であるのに対し、「自分のため」というエゴを超えて、「他者への貢献」「コミュニティの発展」「世界平和」といった、より高次な目的のために行動したいという欲求です。
近年、ビジネスの世界で注目されるSDGsやパーパス経営(企業の存在意義を重視する経営)は、まさにこの「自己超越の欲求」に訴えかける概念とも言えるでしょう。
マズローの欲求5段階を生活で理解する|身近な具体例
理論だけではピンとこないかもしれません。マズローの欲求5段階は、私たちの日常生活のあらゆる場面に隠れています。
買い物やサービス利用に表れる「生理的・安全の欲求」
私たちが日々行う消費行動の多くは、下位の欲求に基づいています。
- 生理的欲求(第1段階)
- 仕事帰り、空腹を満たすためにコンビニでお弁当を買う。
- 喉が渇いたから自動販売機で水を買う。
 
- 安全の欲求(第2段階)
- 万が一の病気や事故に備えて生命保険や自動車保険に加入する。
- 「オーガニック」「無添加」と書かれた食品を選ぶ(健康という安全)。
- ウイルス対策ソフトをPCにインストールする(データの安全)。
 
これらは「生きるため」「守るため」の消費であり、生活の基盤となる欲求です。
職場の人間関係に影響する「所属・承認の欲求」
私たちは一日の多くの時間を職場で過ごします。そこは欲求が渦巻く場所でもあります。
- 所属と愛の欲求(第3段階)
- 新しい職場で、早くチームに馴染みたいと思い、ランチに積極的に参加する。
- 社内イベントや部活動に参加し、「仲間」としての意識を高めたい。
- チャットツールで雑談が盛り上がっていると、疎外感を覚えて参加したくなる。
 
- 承認の欲求(第4段階)
- 自分の企画が通り、上司や同僚から「すごいね」と褒められたい。
- 昇進・昇格して、役職という「承認の証」が欲しい。
- 専門知識をアピールし、「この分野なら〇〇さんだ」と頼りにされたい。
 
スキルアップ・資格取得に向かう「自己実現欲求」
第4段階までの欲求がある程度満たされると、人は「自分らしさ」の追求に向かいます。
- 自己実現の欲求(第5段階)
- 「給料が上がるから(安全・承認)」ではなく、「このスキルを極めたいから」という理由でプログラミングを猛勉強する。
- 「誰かに勝つため」ではなく、「自分の表現力を試したい」という動機で絵画教室に通う。
- 自分の理想とするキャリアを実現するために、難関資格に挑戦する。
 
このように、マズローの欲求5段階をフィルターとして使うと、自分や他者の行動の裏にある「動機」がクリアに見えてきます。
ビジネスでの活用|顧客心理をとらえて商品・サービスを提案する
ここからは、事業戦略者としての本題です。マズローの欲求5段階は、顧客のインサイト(深層心理)を掴むための強力な武器となります。
マーケティングで顧客の「どの欲求段階」を見極める方法
優れたマーケティングは、顧客が「今、どの欲求段階にいるか」を正確に見極めることから始まります。
- ペルソナ設定の深化:ターゲット顧客のペルソナ(人物像)を作る際、「年齢・性別・年収」といったデモグラフィック情報だけでなく、「今、何に不安を感じ(安全)、何に孤独を感じ(所属)、何を認められたい(承認)と思っているか」をマズローの欲求5段階に当てはめて分析します。
- 顧客アンケート・インタビュー:「この商品(サービス)に期待することは何ですか?」という質問の答えを分析します。
- 「安くて長持ちするから」(安全の欲求)
- 「みんなが持っているから」(所属の欲求)
- 「これを持っていると一目置かれるから」(承認の欲求)
 
- 検索キーワードの分析:顧客がどんな言葉で検索しているかにも、欲求段階が表れます。
- 「〇〇 激安」(安全の欲求)
- 「〇〇 評判 口コミ」(所属の欲求=他者と同じかを気にする)
- 「〇〇 上級者向け」(自己実現の欲求)
 
商品・サービスを「どの欲求に訴求するか」でメッセージが変わる
同じ商品でも、ターゲットの欲求段階によって、響くメッセージ(キャッチコピーや訴求ポイント)は全く異なります。
例:同じ「英会話スクール」を売る場合
| 訴求する欲求段階 | ターゲットの心理 | 響くメッセージ(例) | 
| 安全の欲求 (第2段階) | 将来、英語が話せないと職を失うかもしれない不安。 | 「AI時代に負けない。一生モノの英語力を手に入れて、将来の不安を解消」 | 
| 所属の欲求 (第3段階) | 英語を通じて新しい仲間と繋がりたい。孤独感。 | 「あなたも今日から仲間入り!同じ目標を持つ受講生と繋がるコミュニティ型英会話」 | 
| 承認の欲求 (第4段階) | ビジネスの場で、英語で堂々と発言して尊敬されたい。 | 「たった3ヶ月でネイティブを圧倒。会議で一目置かれる、ワンランク上のビジネス英語術」 | 
| 自己実現の欲求 (第5段階) | 英語はツール。それを使って世界中の人と議論し、自分の視野を広げたい。 | 「言葉の壁を超え、本当になりたい自分へ。世界を舞台に活躍するあなたを実現する」 | 
このように、マズローの欲求5段階を軸に訴求を設計することで、メッセージは研ぎ澄まされ、顧客の心に深く刺さるようになります。
価格設定やブランド戦略とマズローの欲求5段階の関係
価格と欲求段階も密接に関連しています。
- 低価格戦略(例:ディスカウントストア、ファストフード)
 主に「生理的欲求(安く食べたい)」や「安全の欲求(出費を抑えて生活を防衛したい)」に訴えかけます。この領域は価格競争に陥りやすい特徴があります。
- 高付加価値・ブランド戦略(例:高級車、ラグジュアリーブランド)
 「安全の欲求(高品質で壊れない)」も満たしつつ、主戦場は「承認の欲求(これを持つ自分は特別だと思われたい)」や「自己実現の欲求(このブランドの世界観が自分の理想と一致する)」です。
顧客がマズローの欲求5段階の上位にいけばいくほど、モノそのものの機能的価値(安さ、便利さ)ではなく、それを持つことによる情緒的価値(ステータス、自己表現)にお金を払うようになります。
マネジメント・人材育成での活用|部下が動き出す環境をつくる
ビジネスは「人」で成り立っています。マズローの欲求5段階は、顧客だけでなく、「従業員」のモチベーションを理解し、組織を動かす上でも不可欠なツールです。
昇給だけでは動かない理由は「欲求段階のズレ」にある
マネジメントでよくある失敗が、「部下のモチベーションが低いから、給料を上げよう(昇給)」という短絡的な施策です。
もちろん、給与や待遇は「安全の欲求(第2段階)」を満たす上で非常に重要です。しかし、もしその部下が求めているのが「上司や同僚からの承認(第4段階)」や「仕事を通じた成長実感(第5段階)」だった場合、昇給だけでは根本的な解決になりません。
「給料は上がったが、仕事はつまらないし、誰も認めてくれない」という状態では、部下のやる気は戻らず、最悪の場合、離職につながります。マズローの欲求5段階のどの部分が満たされていないのかを見極めることが、マネジメントの第一歩です。
メンバーごとの欲求段階を見極めるステップ
部下やメンバーが今どの段階にいるかを把握するために、上司は以下のような視点で観察・ヒアリング(1on1など)を行うべきです。
- 「安全の欲求」は満たされているか?
- 「給与や待遇に大きな不満はないか?」
- 「労働環境(長時間労働、ハラスメント)に問題はないか?」
- 「雇用の安定性に不安を感じていないか?」
- (ここが満たされていないと、他の施策は無意味です)
 
- 「所属の欲求」は満たされているか?
- 「チーム内で孤立していないか?」
- 「気軽に相談できる同僚や上司はいるか?」
- 「自分はチームの一員として受け入れられていると感じているか?」
 
- 「承認の欲求」は満たされているか?
- 「自分の仕事の成果を正当に評価されていると感じているか?」
- 「(結果だけでなく)日々の努力やプロセスを認められているか?」
- 「得意なことや強みを活かせているか?」
 
- 「自己実現の欲求」へ向かっているか?
- 「将来のキャリアプランについてどう考えているか?」
- 「今、挑戦したい仕事や、新しく学びたいスキルはあるか?」
- 「仕事を通じて成長している実感はあるか?」
 
部下の欲求段階に合わせて、「安全」を提供する(環境改善)、「所属」を促す(チームビルディング)、「承認」を与える(評価、称賛)、「自己実現」を支援する(裁量権、挑戦の機会)といったアプローチを使い分けることが重要です。
組織の成長フェーズと欲求5段階の相性
組織全体のフェーズによっても、集まる人材や有効な施策は異なります。
- 創業期(スタートアップ)環境は不安定(安全の欲求は低い)ですが、「新しいことを成し遂げたい(自己実現)」や「創業メンバーとしての強い一体感(所属)」といった上位の欲求に強く動機づけられた人材が集まりやすい時期です。
- 成長期組織が急拡大し、ルールや制度の整備(安全の欲求)が追いつかなくなります。同時に、初期メンバーと新メンバー間のギャップ(所属の欲求)や、ポストや報酬をめぐる競争(承認の欲求)が課題となりやすい時期です。
- 成熟期雇用は安定し(安全の欲求は充足)、組織は確立されています。しかし、その安定ゆえに「挑戦の機会が減る(自己実現)」「評価が画一的になる(承認)」といったマンネリ化が起こりやすく、優秀な人材のモチベーション維持が課題となります。
自社が今どのフェーズにあり、従業員がマズローの欲求5段階のどこで停滞しやすいかを分析することで、先回りした人事施策(新規事業の公募、評価制度の見直しなど)を打つことができます。
まとめ|マズローの欲求5段階を理解すれば、人もビジネスも動かせる
マズローの欲求5段階説は、単なる心理学の知識ではありません。顧客の心を掴み、組織を動かすための「実践的なフレームワーク」です。
まず「相手がどの欲求にいるか」を把握することが最重要
この記事で一貫してお伝えしてきたのは、「相手の現在地を知る」ことの重要性です。顧客であれ、部下であれ、相手がピラミッドのどの段階に立っているかを見誤れば、あなたのメッセージや施策はすべて空振りに終わります。「安全」を求めている人に「自己実現」を説いても響きません。
マーケティングとマネジメントの共通点は「人の欲求を満たすこと」
マーケティング(顧客を動かす)とマネジメント(従業員を動かす)は、対象が違うだけで、本質は同じです。それは「相手が満たしたいと願っている欲求を見抜き、それを満たす手段(商品・サービス・環境)を提供すること」です。マズローの欲求5段階は、その「満たしたい欲求」を特定するための、最も信頼できるです。
 
   						           		 